門出の春

  • 2017.03.22 Wednesday
  • 11:40


ここ数日、息子が大騒ぎだ。何をやっても謎のぐずりがおさまらない。普段はぐずっても空腹か眠いかの至極わかりやすい息子につき、母はややげっそり。泣くからには原因があるのだろう。


4月から息子は保育園、私は育休明けで復職する。正直、可愛いかどうかとは別問題で、24時間来る日も来る日も赤子と一緒にいるのはつらい。だから週5日物理的に離れることが楽しみでないといえば嘘になる。

しかし、半年のブランクで自分の能力が落ちていないか、仕事と子育てを両立するのにどれほどの気力体力が必要か、などなど不安も尽きない。加えて入園準備や復職前に済ませておきたいあれこれもあり、私の頭の中は良くも悪くも仕事モードになっていた。


母の気持ちが自分に向いていないことを、息子は感づいているのではないか。もしかしたら、離れて過ごす時間が増えようとしていることも。

彼にとって、保育園は人生の新たなステージある。相当大きな変化の渦に、ひとの都合で早々に、突然に、巻き込まれることになる。にもかかわらずその原因を作っている私の方には、離れて寂しい思いをさせるかもとか、あの場所でこの子が日々穏やかに過ごせるだろうかとかいう心配をしてあげる余裕すらなかった。

小さくたって人間だ。未熟ながら感情もあるだろうし、本能で感じる不安もあるに違いない。思い至って非常に申し訳なくなった。すまぬ、せがれよ。母が悪かった。


心を入れ替えて接し始めたら、息子のご機嫌がなんとなくなおった。やっぱりか、と思うと同時に、残り10日は、真正面から向き合って付き合うことに決めた。楽な方に逃げず、できるだけ抱っこもしてあげよう。種々のやるべきことは、子供が寝ている間にやればよい。短時間で効率よく。そうだそうだ、それが私の売りだった。

このべったりで過ごせる時期に力一杯べったりしなかったことを、のちのち悔やむような気がしている。だから今できることぐらいはやっておこうと思う。ちっとも得意ジャンルではないが、幸い相手が満足しているようだからよしとする。完璧でなくても成り立つことが、世の中には結構あるもんだ。いろいろと学びの多い春である。

餅を愛し餅一筋に生きる

  • 2017.03.14 Tuesday
  • 10:21


朝から宅配便が届き、なんだろうと思って開けてみたら、餅を愛し餅一筋に生きる、もち吉のお菓子。ホワイトデーに届くよう、わざわざ送ってくださった心遣いがとてもうれしい。

思えばバレンタインデーやホワイトデーに出勤しなかったのは初めてだ。過去のバレンタインでは必ず同僚や上司にチョコを用意してきたが、今回は近しい人だけ、しかも当日でもなく、カードも付けられなかったので、自分の中ではあまり納得のいかない出来だった。ゆえにお返しにはサプライズ的な喜びもあり、格別にほっこり。次回はちゃんといたします。

私は義理チョコ推奨派だ。単にばらまくだけならやらなくていいと思うけど、ちゃんとやるなら日頃の感謝を伝えるのにちょうどいい機会。相手の顔を思い浮かべつつチョコを選ぶのも楽しい。おそらく義理チョコという名前がよろしくないのだ。サンキューチョコとかなんとか、そういうのにすればいいのにね。

一方男性にとってのホワイトデーは、義務の側面が強いのではなかろうか。こちらはお返しを期待していなくても、もらったら本命だろうが義理だろうがお返しナシという選択肢がなさそう。その上あくまでお返しだから、もらわないと準備できない。つまり準備期間が1ヶ月しかない。気の利いたことを考えるには案外短い。仕事に追われて気づいたら今日ってことも十分あり得る。そういえばオフィスが乃木坂にあったとき、ホワイトデー当日にミッドタウンのチョコ屋さんに大行列ができていたなぁ。

お返しなんていいよ、と言っても、いやそうもいかないでしょ、という風潮。それが面倒でバレンタインデーのやりとりを禁止する会社もあるようで。感謝の気持ちが負担になるのは切ない限り。いっそバレンタインデーとホワイトデーは合体してしまえばいいのではないか。うん、これはなかなか名案な気がする。

いずれにしても、ちょっとしたおやつのやりとりだし、お互い楽しむ余裕があるなら続ける意味はあると思う。だってうれしいし、美味しいし。では、頂戴したお菓子を早速美味しくいただきます。

傘が壊れて考えた

  • 2017.02.18 Saturday
  • 12:45


傘を差して家を出た。しばらく歩くと雨が上がったので傘を閉じたら、空中分解した。

骨が四方八方に飛び出し、もはやこの物体をコンパクトにまとめる術はない。よりによってこんなに急いでいるときに。とっちらかった傘を花かごを抱えるていで捧げ持ち、とりあえず歩き続ける道すがら、よからぬ考えが頭をよぎる。こんなのどっかの物陰に捨ててしまえばよいのだ。

一瞬、周囲を見渡し程よい物陰など探してしまったりしたが、我に返って必死に考えた結果、少し先のコンビニに入り、新しい傘を買うからこれを処分してくれと懇願することを思いつく。恐る恐る言い出してみたら、しぶしぶながらも引き受けてもらうことに成功した。一件落着。

世の中には、やってはいけないことがある。ごみをポイ捨てするなんて絶対やってはいけない。聞かれれば皆そう答えると思う。しかし実際は、タバコの吸い殻をポイポイするのを何度も見たことがあるし、床にこびり付いたガムの跡や、道端の空き缶もあちこちで見る。なぜなんでしょうね。

吸い殻を捨てるひとをみていると、堂々とポイしているのは少数派で、大概はサッと手を振り下ろした流れや、コートの陰に隠して素知らぬ顔で捨てているようだ。悪いってわかってるわけです。じゃあやるなって話で。

誰にも気づかれなくても、ダメなものはダメ。そう思える倫理観の拠り所は何か。宗教的にいうなら神様が見てるからだが、私の場合は私が見てるってことになる気がする。そんな自分では自分が嫌だ。子供が生まれて、その考えは強くなった感じ。完璧は目指してないけど、家族や友人に恥ずかしくない人間ではいたいかなぁ。

コンビニを出て歩いているうちに空はどんどん晴れてきた。壊れた傘を持ち歩くことを考えたら、真新しいビニール傘の1本くらいなんてことない。なんてことない。が、まぁ邪魔は邪魔です。傘は折り畳みに限りますね。

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