私は料理好きになりたい

  • 2017.09.12 Tuesday
  • 00:25


このところ週末になると、構想と買い出しを含め3〜4時間ほどかけて離乳食のもとを仕込む。

六分がゆを炊いて、にんじん、トマト、じゃがいも、ほうれん草か小松菜、鮭、ツナ、ささみ、リンゴあたりを茹でて小さな賽の目に切ったり、それっぽい野菜数種と果物をフードプロセッサーでスムージーにしたりして、製氷皿に小分けにして冷凍。毎朝これらと卵、豆腐、納豆、ヨーグルトの中から何種類かを選んで混ぜたり載せたりつぶしたりで、息子のごはんを作る。

来月から離乳食後期に移行するにあたり、保育園で食べる前に家で試すべき食材も山とある。それらを一日にひとつ組み込みつつ、栄養バランス、というより色合いを多少は考慮し、量もそこそこ作るとなると、料理好きでもなんでもない私にとっては、なかなかどうしての苦行だ。

当初は、一生続く話でもなしベビーフードでいいじゃんと思っていたのだが、試しに買ってみたらどうしてもあの匂いが好きになれず、急場しのぎでスタートしたこのスタイルがそのまま定着した。同じように働く母たちに聞くと、だいたい似たり寄ったりのやり方である模様。友人の赤ちゃんをたまにみてのん気に「大きくなったねぇ」などと述べていた頃が懐かしい。陰では皆、こんなにも苦労していたのだ。すごい。すごいよみんな。

時折、朝起きたら突然大人と同じものが食べられるようになっててくれないかな、と不毛な夢を見たりする。しかし実際そうなったら朝はともかく夜までマトモな大人の食事を用意しなければならないわけで、むしろ辛さはいや増しだ。相当辛い。断然、今のままでいい。

とはいうものの、当前、今のままというわけにはいかない。遅かれ早かれ息子は大人と同じご飯を食べるようになる。いくらなんでも赤ん坊に毛が生えたような子に、コンビニ飯を食べさせるわけにはいかない。結果、我々の晩ご飯までちゃんとつくる毎日がやってくるのだ。どこにそんな時間と気力があるのかわからないが、その事実だけは確定している。そして着々と迫ってきている。

思えば産休中が人生で一番まともに料理をしていた気がする。朝昼晩にお弁当まで作っていたのだから、よっぽど暇だったのだろう。そもそも家で作った方が体にもいいし、美味しいんだし、節約にもなるし、時間と気力が割かれる以外はいいことしかないはずだ。分かっている。頭ではわかっているぞ。

まぁ辛いなりにも、息子がご飯を食べてうっすら美味しそうな顔をすればうれしいし、いろんな種類の野菜を切り刻んだのが製氷皿にずらりと並んでいると達成感もある。そんな少しの喜びで、果たしてどこまで走り続けられるだろうか。先は長い。

ああ、料理好きな人はいいな。朝起きたらちょう料理好きに生まれ変わってないかな。

はやいことはいいことだ

  • 2017.08.11 Friday
  • 07:00


すぐやりますって言ってから30分経ったらそれはもう、すぐではない。

すぐというのは直ぐと書くくらいだから、ただちに、つまり間髪入れずに、それはもうすぐ、いますぐ、ではないのか。むしろそれができないなら、すぐと言わないでほしい。それくらいある意味では重い言葉だと思うのだが、単に私がせっかちなだけなのだろうか。


時間の感覚は人によって驚くほど違う。近いうちが今週の場合もあれば、今月中、なんなら数か月のうちに、ということもある。

プライベートならそれで全然問題ない。だが仕事となったら、ある程度スピード感をもつべきだ。自分の時間にも相手の時間にもお金が発生しているし、目先のちょっとした時間の無駄遣いが先々の大きな開きにつながる。あれこれ悩んで手を動かさないでいるうちに、その開きは広がって、これまた要らぬコストが発生してしまったりする。いいことなし。

処理速度が人によって異なるのは当然だが、動き始める、という一点については決断するだけのことなので差などない。そもそも処理速度すら、本人の努力次第で確実に改善の余地はあるはず。働く上で、はやいことは、間違いなく良いことだ。だからはやくする努力も、惜しむべきではない。

まず手を動かし始めてみる。妙なプライドを発揮せず素直に聞く。方向性が間違っていないかこまめに確認する。キーボードはたくさん打って速度を上げる。抱えているものの優先順位をしっかりつける。すぐ終わるものは先に片づける。ショートカットキーをフル活用する。先のことを想像しながら動く。このことはこの人に聞けばばっちりという人を色んなジャンルで握っておく。

はやくなるための方法は色々あるけど、人がこうやったらいいよと言ってることは、とりあえずやってみるという柔軟さもあるといい。私なんぞはそれはもう頑固一徹だけど、自分のためになることなら素直に取り入れるくらいの度量はある。ちょっとモヤっとしたとしても、結果役に立つことならばよいではないか。


しかしはやく動くためには、本人のコンディションもわりと重要だったりする。乳児と暮らしているとどうしても睡眠を削られたりなんだり、このコンディションがよろしくないことが多い昨今。世の乳児たちはね、早く寝て遅く起きてほしいですね。乳児は遅くていいです。

とはいえ仕事の云々を子供のせいにはしたくはないので、できる範囲の全力投球は怠らないでおきたいところ。自らを戒めつつ頑張りたいと思います。なにしろ働けることは、幸せなことだからな。

暗黒時代は玉虫色

  • 2017.07.08 Saturday
  • 08:15


ニュースで産後うつの話題を見て、産後の1ヶ月が地獄のように辛かったことを思い出した。そして、日が経つにつれてその地獄のように辛い記憶がどんどん朧げになっていることに気づいた。当時はものすごく辛く、むしろ辛さしかなかったはずなのに、喉元過ぎれば人は熱さを忘れるものだ。

というわけで記憶が更に薄れてしまう前に、何がどう辛かったのかを書き残しておこうと思う。


そもそも出産時に1.5リットルの大量出血をしたせいで、私は産後の肥立ちとやらが悪かった。入院中は廊下も手すりを伝わないと歩けないほどフラフラで、退院後も布団から出るともれなく目の前が暗転する状態が続いた。

体調が悪ければそれだけで辛いのに、昼夜問わず2時間ごとに乳をやらねばならぬ。家事全般や、おむつ替え、沐浴などは義母や夫に任せられるが、授乳だけはそうもいかない。夜中に隣で泣き出す声に起こされ朦朧と30分近く授乳。しかも乳首はまだ弱くてあっという間に腫れあがり、吸われるたびに体がよじれるくらい痛い。出産時の切開の傷跡もこれまた痛くて座ると激痛が走る。満身創痍とはまさにこのことである。動かないから筋力も落ちる。ぐっすり眠れないから気力も落ちる。恐怖の悪循環だ。


新生児は笑わない。人間というより生物で、ぶっちゃけちっとも可愛くはない(今となっては新生児を見ると可愛いく思えてしまうこの不思議よ)。赤ちゃんは泣くのが仕事というがそのとおりで、泣くか寝るかしかない。とにかく最初の1か月はよく泣いた。お腹が減れば泣き、おしっこをすれば泣き、更にはおむつが綺麗でお腹がいっぱいで抱っこまでしてるというのに泣き止まないこともある。特に夜半のそれは堪える。最初のうちはあやしたり歌を歌ったりするが、すぐに打つ手はなくなり、暗い中ぎゃん泣きする子を抱え、ただ揺らすことしかできない。そのまま次の授乳に突入なんてこともあるある。今にして思えば、こちらの不安が子供に移っていた面も多分にありそうだが、当時はそんなの知ったこっちゃない。


24時間、自分より優先しなければならない誰かに暮らしを左右されるのがまた辛い。子供が寝たら何かするよりまず自分も寝たいわけだが、そうすると本当に何もできず、どんどん世間と隔絶されていく。普通に外に出て子供と離れられる夫が羨ましくて仕方ない。だけど子供を義母に預けて外に出る勇気も元気もない。

初めての連続なので、些細なことも気になって仕方ない。泣き止まないといっては凹み、湿疹が出たといっては騒ぎ、6時間寝続けたといっては心配し、母乳やミルクが足りているのかで気を揉み、その度に子育て先輩の友達に連絡してなだめられ。なまじきちんとやりたい性分だと、やらねばという気持ちだけが先行してどんどん追い込まれる。自分の今までの人生経験がまったくもって役に立たないことで、自分に対する自信もすっかり失ってしまう。

3週間ほど保育士でもある義母が泊まり込みであらゆることを手伝ってくれていたが、それだけに彼女が帰ってしまった後どうやって家事と子育てを回せばいいのか不安で不安で、気づいたら泣いていることもたまにあった。


当たり前だが子育てはすぐに結果の出ることではない。どれほど精力を注いで頑張ったところで今いまは何の手応えもない。そう、この手応えのなさがまた堪えるのだ。仕事みたいに手際よくちゃっちゃと終わらせていきたいのに。

今までの人生で辛かったことのほとんどは、「そのうち必ず終わるのだ」と言い聞かせて乗り越えてきた。しかし子育てには当分終わりがやってこない。ではどうやって乗り越えたらいいのだ。どうやって。どうやって。そう考えているうちに思考がフリーズする。その繰り返し。暗転。

最初の1ヶ月にはそんなこんなで多種多様な辛さがてんこ盛り。どうやって乗り切れたのか、今だに不思議でしかたないほどだ。


さてしかし。2か月を過ぎ、3か月を過ぎると、子供が泣く理由もわかってくる。こちらに余裕ができることで相手も落ち着いてくるし、何かをしてあげれば相応の反応もある。まったく新しい生活の中で、楽しみを見つけることもできてくる。そうこうしているうちに息子は無事生後7か月を迎えた。最近は素直にかわいいなと思えるようになり、ホッとしている。そして、そんな子供と接しているうち、あの辛く苦しい1か月の記憶は彼方へと遠のいていくのである。


自分が生きる上で、あるいは働く上で、何を大事にしているか、何に喜びを見出すか、というようなことが、子供が出現したことで浮き彫りになったように思う。その点においても、子供とはなかなか意義深い存在だ。

この感じを、あの1ヶ月なしで体験できたらどれほどいいだろうが、まぁそうはいかない。あれあってのこれだ。であればせめて、世の中の産後1ヶ月の母たちが少しでも楽になる方法が、どんどん増えていくことを祈るばかり。もちろん、私もできることはしたい。心からそう思う次第であります。

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